今日は11月20日、何の日かと思って見てみますと任天堂が設立された日です。
ゲーム業界って忙しいイメージが強いので設立記念日とかで休めてるんですかね・・・。
任天堂の設立について
会社として1947年11月20日に創立、ということみたいですが、原型はそれよりもっと昔1889年(明治22年)に花札を作り始めたところから始まるみたいです。元々は博打の道具を作っていたんですね。
1947年の設立当初も名前は任天堂ではなく、「株式会社丸福」という名前らしいです。昔良く見た看板とは無関係です。
この看板最近見ないんですけどどうなったんですかね。
あとこの看板を置いている所は債務者だったんでしょうか。
任天堂の名前に変わったのは1963年(昭和33年)、ケネディが暗殺された年ですね、教科書でしか知らない時代です。そのころでも引き続き花札、トランプ、かるた、なんかを作っている会社だったみたいです。博打の道具が多めですね。
任天堂という文字は‘天’に’任’せると書きますが、会社の名前の由来もそんな所から来ているのかもしれません、僕の妄想ですが。
天に任せる麻雀打ちの話です。
マリオ、ゲームの登場
今はテレビゲームで有名な任天堂ですが、初のテレビゲームの機械はなんと1977年に「カラーテレビゲーム15」というものらしいです。僕は名前すら知らなかったのですが、なんと100万台を売り上げているらしいです。
カラーテレビゲーム15
By Greg Dunlap (HeyRocker) – TV-Game 15, CC 表示 2.0, Link
出来るゲームはPONGの様なテニスゲームの物だったそうです。
PONG
今から考えると何が楽しいんですかね、これ。
皆さんがよく知っているファミコン、ファミリーコンピューターの発売は1983年、6年後だと考えると…。
なんかもうこっから書いてくとwikipediaの2番煎じみたいになっちゃうんでここからはファミコンでプレイ出来たエロゲーの話しをします!
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ファミコンのエロゲーってイメージができない方、そもそもファミコンのイメージができない方も世に出てきているご時世ではあります。
ファミコンが現役で稼働していたのは今(2016年現在)から30年も前の話になります。当時は既にPC98シリーズというNEC製のPCで様々なエロゲーが発売されていた時代ではありますが(ドラクエで有名なエニックスやアスキー等今では著名な企業がエロゲーを作ったりしていた時代だったみたいです。)当時かなり普及していたファミコンでもエロゲーを作りたい、という需要はありました。
記録に残っているだけでも何本かあり、今でもマニアの間で高値で取引されているようです。
その中でもファミコンのエロゲーといったら、で一番最初に名前が挙がるのがSUPER MARUOというソフトです。
SUPER MARUO
これです、これの服が脱げるんです、脱げるんですよ。
中身としてはかなり稚拙なものですがこの道の第一人者であり、冷戦期の宇宙開発競争に例えると月面に一番に着陸したアメリカです。
なんとyoutubeに動画が上がっていました。これはyoutubeの倫理規定に照らしてみても猥褻なコンテンツではない、ということなんでしょうか。
任天堂は自社の審査を受けた上でライセンス料を支払わないとソフトの販売をさせてくれない会社であり、マリオのパクリかつアダルトな内容のソフトの存在を許さないので、すぐに販売停止にさせたそうです。
ただ、なぜか後を追いアダルトゲームを作るメーカーが続出し、ファミコンで言うと、
- AV花札倶楽部
- AVスーパーリアルパチンコ
- ソープパニック
の様なソフトが裏で発売されていました。この辺かなりざっくりと書いておりまして、興味のある方は自分で調べてみるといいかもです。
さて、以上は現代に生きる僕らから考えると遠い昔のこと、古の記憶です。
随分と時間が経った現代、最後に技術の進化が今どんな状況かを確かめる為、SUPER MARUOと最新のVR対応エロゲー、「VRカノジョ(Ilusion)」のプレイ動画の画像を並べてみましょう。
この変化を見てみるとあと30年語、僕がお若いと言われる歳になったとき。
世界がどのように変化を遂げているか、楽しみです。
■最新の情報
今では、任天堂は世界のNINTENDOとなり、つい先日には、現役のハードであるwiiUの次、Switchの発売が発表されました。
あまりゲームはやらない方なんですがプレイしたいゲームが出るみたいなので今から楽しみです。
それと私信ではありますが、真中らぁらちゃん、誕生日おめでとうございます。